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2007年5月 7日 (月)

「弁護士のくず」は善悪の彼岸に立つ

 善悪は見方によって変わり、真実は一つではなくいくつもありうる、というと驚きです。しかし、それを認めることが時として必要な場合があるようです。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

  「弁護士のくず」は善悪の彼岸に立つ

  と題して進めます。

 切通理作先生は5月6日付の産経新聞文化欄「サブカルさーふぃん」の中で、井浦秀夫作「弁護士のくず」について次のように書いています。

・・・

弁護士のくず  善悪の彼岸に立つ

0506  豊川悦司主演のテレビシリーズ化でも話題になった『弁護士のくず』(小学館ビッグコミックス)は画期的な弁護士モノだ。弁護側に立つにせよ検事側に立つにせよ、神の前の法廷でひとつしかない真実を明らかにする、という原理原則を疑わないのがこの種のジャンルだが、この漫画の主人公である弁護士・九頭(くず)は、「真実がひとつしかないと思ってんのか?」とビートたけしし顔で平然と言い放つ。

 漫画で描かれる上司とOLの職場の情事ひとつとっても、それが合意なのかセクハラなのかの答えはひとつではない。結局はモノの見方の問題なのだ。そして人間の「気持ち」そのものも、外側から解釈が与えられるだけで、変わってきてしまう。

 作者の井筒秀夫は漫画というジャンルでは本来苦手と思われがちな人間の心の「揺れ」を描かせたら天下一の作家だ。かつて『少年の国』という漫画で、あのオウム真理教事件を予見したといわれたことがある。

 ここでは神の存在を、環境破壊を繰り返す人類全体に対して強制力を持つ<超自我>的存在として捉え、自分はその命令ならば人を殺せるのかをギリギリまで問う新興宗教の青年の姿が描かれた。彼はすんでのところで人殺しはせずに引き返すが後に教団の虚偽が明るみに出て、人を殺せなどという宗教を信じること自体がバカげているのだと世間から決め付けられる。そのとき、自分がかつて立った煩悶の場所に、おそらく生涯立ってみることのない多数派の人々との断絶を感じるのだ。

 そんな彼の立場はときに善悪の彼岸に立つ九頭弁護士のあり方にも変わらず受け継がれている。

        (評論家・切通理作) 

・・・

 うーん。

 あなたはどのように思いますか?

 読んでみたいと思いませんか?

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弁護士ものらしく、民事、刑事、著作権法等、様々事件を扱いとてもおもしろい。 まんねりな殺人事件を解決する刑事ものに飽きたら、これに限る。 [続きを読む]

受信: 2007年5月29日 (火) 09時51分

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「弁護士のくず」最近見出たんですが 豊川さんのイメージが一気に覆されました。 .... [続きを読む]

受信: 2007年7月15日 (日) 14時32分

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