2007年12月21日 (金)

「まんたん」の特集コーナーはこれです・・・その2

「まんたん」名物、特集コーナーにはもうひとつ、071220_sp05 071220_sp04

「20世紀少年」が光っていました。

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2007年12月20日 (木)

「まんたん」の特集コーナーはこれです

「まんたん」名物、特集コーナーには、現在あの「ドラゴンボール」が光っています。

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すごい事になっていますよ。071220_sp02

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2007年12月12日 (水)

あのMARS SIXTEENのLessさんのイチオシ漫画はコレです!

 11月30日に行われた第6回神保町まんたんLIVE 「絶対漫画主義!VOL.1」では、ノブ高橋さんと共にMARS SIXTEENのLessさんのトークが大炸裂し、会場が大いに盛り上がったことでした。

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 そのLessさんが東京漫画探偵団のためにイチオシ漫画について寄稿してくださいました。それがコレです!

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LessMARS SIXTEENデザイナー)0712_less

1999年にTシャツオンリーラボブランドMARS SIXTEENを結成。漫画・ゲーム・音楽・映画などのコラボレーションを重ね現在に至る。漫画では「きまぐれオレンジロード」「パタリロ」「HELLSING」のTシャツをリリースしたことで有名。自分が好きな作品をファッションにできたら!というのをテーマに掲げているため、単なるキャラクターTシャツの枠を超えた作りこみで、各作品のファンからも愛されている。

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Lessのイチオシ漫画

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魔女っ娘つくねちゃん/まがり ひろあき著

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0712_less05_2   2003年~2004年にかけてヤングマガジンアッパーズにて連載。アッパーズ休刊を受け月刊シリウスで2005年~2006年で登場人物を若干変えた「魔女っ娘つくねちゃん+」が連載された。コミックス全2巻は絶版されたが、後にアニメ化され人気を博したため急遽総集編の「魔女っ娘つくねちゃん よせあつめ」が発売された。絵の可愛さと正反対に内容はブラックジョークの連続で、オイオイそりゃあねえよ~!と漫画に向けてツッコミを入れたくなるエピソードが満載となっている。「WEB版魔女っ娘つくねちゃん」がインターネットで見られるので、読んで面白いと思った方はそちらもどうぞ!

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きまぐれオレンジロード/まつもと 泉著0712_less04_3

                       ・

格闘・スポコン一辺倒だった80年代の週刊少年ジャンプに恋愛・SFという異文化 を導入したルネッサンス的傑作漫画。主人公が超能力者であることと奇妙な三角関係が絶妙なバランスで描かれ、不思議な感覚を読者に与えることが成功の要因といえる。今読んでも設定は新鮮で、青春群像の永遠のシンボルともいえるのではないだろうか?まつもと氏の長期闘病のため、新作発表はながらく行われていないが、いつまでも僕らはその帰りを待ち続ける覚悟だ!他「せさみストリート」もショートタッチのラブコメとして楽しめるので、気になる方はそちらも読んでみよう!!!!

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2007年12月 9日 (日)

ピョコタン先生のコーナーを作っちゃいました。

あんまり面白いので、ピョコタン先生のコーナーを作っちゃいました。
「まんたん」に来て見てくださいね。
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これがその面白い漫画です。
どうです?

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2007年5月 7日 (月)

「弁護士のくず」は善悪の彼岸に立つ

 善悪は見方によって変わり、真実は一つではなくいくつもありうる、というと驚きです。しかし、それを認めることが時として必要な場合があるようです。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

  「弁護士のくず」は善悪の彼岸に立つ

  と題して進めます。

 切通理作先生は5月6日付の産経新聞文化欄「サブカルさーふぃん」の中で、井浦秀夫作「弁護士のくず」について次のように書いています。

・・・

弁護士のくず  善悪の彼岸に立つ

0506  豊川悦司主演のテレビシリーズ化でも話題になった『弁護士のくず』(小学館ビッグコミックス)は画期的な弁護士モノだ。弁護側に立つにせよ検事側に立つにせよ、神の前の法廷でひとつしかない真実を明らかにする、という原理原則を疑わないのがこの種のジャンルだが、この漫画の主人公である弁護士・九頭(くず)は、「真実がひとつしかないと思ってんのか?」とビートたけしし顔で平然と言い放つ。

 漫画で描かれる上司とOLの職場の情事ひとつとっても、それが合意なのかセクハラなのかの答えはひとつではない。結局はモノの見方の問題なのだ。そして人間の「気持ち」そのものも、外側から解釈が与えられるだけで、変わってきてしまう。

 作者の井筒秀夫は漫画というジャンルでは本来苦手と思われがちな人間の心の「揺れ」を描かせたら天下一の作家だ。かつて『少年の国』という漫画で、あのオウム真理教事件を予見したといわれたことがある。

 ここでは神の存在を、環境破壊を繰り返す人類全体に対して強制力を持つ<超自我>的存在として捉え、自分はその命令ならば人を殺せるのかをギリギリまで問う新興宗教の青年の姿が描かれた。彼はすんでのところで人殺しはせずに引き返すが後に教団の虚偽が明るみに出て、人を殺せなどという宗教を信じること自体がバカげているのだと世間から決め付けられる。そのとき、自分がかつて立った煩悶の場所に、おそらく生涯立ってみることのない多数派の人々との断絶を感じるのだ。

 そんな彼の立場はときに善悪の彼岸に立つ九頭弁護士のあり方にも変わらず受け継がれている。

        (評論家・切通理作) 

・・・

 うーん。

 あなたはどのように思いますか?

 読んでみたいと思いませんか?

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2007年5月 4日 (金)

「ルルとミミ」のなかで萩尾望都は失敗の中にこそ希望があると教えている

 処女作にはその作家の持ち味が集約されているそうです。勝つことよりも、負けてもその失敗の中に希望を見出すことの大切さを教えてくれる処女作を描いた人がいます。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

 「ルルとミミ」のなかで萩尾望都は失敗の中にこそ希望があると教えている

  と題して進めます。

 福田里香先生は4月30日付の産経新聞読書欄の中で、萩尾望都作「ルルとミミ」について次のように書いています。 

・・・

 この本と出会った

萩尾望都著「ルルとミミ」  「失敗こそ希望」が創作の原点

料理研究家 福田里香

0504_1   萩尾望都さんのデビュー作『ルルとミミ』は、双子の女の子が、ケーキコンテストに出来損ないのお菓子を出品し、そのお菓子によって、会場に闖入してきた怪盗団を退治する、というストーリーのかわいい短編コメディーだ。

 ケーキをコンテストに出して人と競う、というフードバトル的展開は、のちにこのジャンルで隆盛を誇ることになる少年・青年まんがより、本作やその後の萩尾作品『ケーキケーキケーキ』(原作・一ノ木アヤ)の方が実は早い。青年まんがのフードバトルものと萩尾作品が決定的に違うのは、主人公が勝たないところである。さて現在、一般的に世間では、食べ物を武器にして戦う作品を「料理まんが」と称し、今や二大ジャンルを築いているが、これはウンチクという武器だったり、珍しい材料という武器で戦い、ライバルに勝利していく、という展開が基本だ。そう、食べ物は、身近な存在だから「万人にわかりやすい武器」として機能するのだ。しかし、ともするとじつは食べ物が主題ではなくて、他に描きたいことがあるから、食べ物を武器にしているんだなと読める節がある。

 逆に『ケーキケーキケーキ』は、ライバルの卑怯な不正すら世間に正されず、負けて終わる話だ。そして、『ルルとミミ』は、ちゃんとしたケーキを作ろうとして失敗する話。ベタベタケーキに空中に浮いちゃうケーキ、カチンコチンな固いケーキ。でも普通に売ってるおいしそうな「成功した」ケーキより、だんぜんこっちが食べたかった。処女作には、その作家の持ち昧が集約されるというが、本作を読み返すたびに、萩尾望都さんは、やっぱり徹底的に少女まんが家だなと思い知る。

 勝つことは重要じゃない、負けてもいい、失敗にこそ、希望があるのだ、といわれた気がした。それが今でも私の創作の原点になっている。

・・・

 うーん。

  あなたはどのように思いますか?

 読んでみたいと思いませんか?

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2007年4月27日 (金)

「闇のパープル・アイ」は妖しく恐ろしく異形の、魔性の女の美しさに陶酔させてくれる

 知らず知らずに求めていた憧れの対象に、突然遭遇した時は、たとえて言えば落雷に見舞われたというべきでしょうか。しびれるようなショックを受けることでしょう。そんなマンガに出合えることができるとしたら大変幸せですね。昨日に引き続き「闇のパープル・アイ」を取り上げてみましょう。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

  闇のパープル・アイ」は妖しく恐ろしく異形の、魔性の女の美しさに陶酔させてくれる

  と題して進めます。

 森雅裕先生は著書の「名作コミックを読む」の中で、篠原千絵作「闇のパープル・アイ」について次のように書いています。 

・・・

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   篠原千絵先生さま

お初にお手紙さしあげます。私、一介の小説書きです。モノカキを仕事とするものが、『先生』に『さま』をつけるなど、日本語のルールを無視してしまって申し訳ありません。ご自身、文章もまた素晴らしくお書きになる先生さまには、「なんだこのバカは」と憤慨、軽蔑、お腹立ちのことかもしれません。わかっちやいるけどそれでもなお、思わず過剰に尊敬したく、ついついなってしまうほど、かねてよりお慕い申し上げております。ほとんど打ちのめされるほど。

 正直に告白すると、先生さまの御作品を、私はかなり遅れて知ったのです。私にとって非常に貴重なこの出会いをもたらしてくれたのはウチの亭主です。同業の後輩であるところの宿六は、その昔高校生の分際でうっかりデビューしてしまった時、とある担当編集者から、ぜひとも少女まんがをたくさん読んでオンナゴコロをよく勉強するようにとアドバイスをされたとか。きやつの本棚にはすさまじいまでの分量の雑誌、書籍、ムック、コミックスなどなどがてんこもりになっておりました。どひやー、嬉しい、まだまだこんなに読んでないのがあったんだあ! と感動している私に、

 「これ知ってる? すごいぞ! うまいぞ! とんでもないぞ!」

と、勧めてくれたのが、他でもない。

『闇のパープル・アイ』でございました。

 最初は……ああ、お許しください……えーっ、この絵、あんまり好きなタイプじゃないなあ、ホラー系って趣味じゃないし……などと愚劣にも不遜なつぶやきを洩らしつつ、ページをめくりはじめたのでございます。主人公の少女の登校前のドタバタと幸福そうな食事風景、なーんだありがちのラブコメじやないかと少々焦れてきたその刹那。あの絵が。

 包丁のかすめていった己が腕を、

 したたるひと筋の赤い血を、

 静かに舐める倫子の姿が。

 頬をひっぱたかれたようなショックに、私しばし呆然と、恍惚と、ただただ見蕩れておりました。

 あの線。あの貌。あの表情。

 なんて妖しく、恐ろしく。

 そしてまた、なんと美しかったことでしょう。

 ……ヤバいよ、これは。

 払は慄え、しきりに生唾を飲み込みました。

 これを……この絵を……この主人公を、こんなエッチでヤクザでヘンタイなものを、小学生なんかも読んじやう雑誌にいきなし載せちやったのかよ、えーっ!?

 私は、彼女が、「やーん、切っちやったイターイ」なんてかわゆく泣いて「あきらかにヤバい事態に面してもあくまでイノセントに鈍感な主人公」であることを紹介されるのであろうと無意識に予想していたのでございます。しかし。しかし。意外にも。

 そこにいたのは、内気で優しくて幸福で平凡なそこらの女子高校生などでは微塵もない、異形のヒロイン、魔性の女、この世ならぬ場所に棲まうべき、美しい怪物そのものでありました。倫子は、その登場の直後から、どんなひどい目怖い目にあわされてもただキヤーキヤー逃げ惑うばかりの女の子などではないことを、きっぱりと自己主張していました。これこそ新しいフェミニズムであります。

 それにまた。どうやら、この作品は、払などの委細知らぬうちに、大変な人気と支持を得ていたらしいではありませんか。内気で優しくて幸福で平凡な(はずの)そこらの少女読者たちに。いくら世紀末だからとはいえ、怪奇お耽美ブームだからとはいえ。

 最近のこどもはあなどれない。

 私はウームと唸りました。

 私がティーンエイジャーだった頃でさえ、一般に、女の子はオマセで耳年増、同学年程度の男どもなど、アホでガキで幼稚で問題外のさらに外だったというのに。

 こーゆーもんを読み込んで確信もっちやった女の子たちを相手しなきやならないこれからの男の子たちは、さぞかし、大変だろーなー。ご苦労さん。そんなことも思いました。

 いいえ、もちろん、知っています。処女はもとからひどく危険なものです。童貞っていうと、未熟で無知で頭の毛が三本足りない感じがしますけど。

 私自身、処女だった頃が一番パワフルでデインジャラスだったことをよく覚えています。好きな男の子からかかって来る電話さえ憚られたあの季節の、抑圧と忿懣。からだとこころを螺旋にめぐり、行き場もないまま研ぎ澄まされていったエネルギーが、油断するとチョロチョロ思いもかけぬところからこぼれてしまう。夜中に鏡を覗く時、手も触れぬのに力ーテンがそよぐ時、確かに、異界の呼び声が聞こえた。

 魔女におなり。魔女にしてあげるよ。

 なぜか妙に足の重い朝、いつもの駅までの通学路をひとり歩いている私の前に、後にも右にも左にも、どこからともなく現れたたくさんの野良猫たち。よしなよ。行くの、よしなよ。危ないよ。よしなったら。そういう声が、聞こえた気がした。餌をやったわけでもないのに、撫でてやったわけでもないのに、なんでそんなにつきまとうの? いったいどこまでついてくるの? 振り切るように走りだし、胸をドキドキさせたまま改札を抜け、階段を登り切ると、いま、入ってきた電車に向かって、ホームから高々とダイビングするひとが見えた。

 別の朝、「どうしたの、遅かったじゃない」と母に言われて時計がくるっていたのに気づいたこともあります。直そうとして隣の弟の部屋に入ると、弟の部屋の時計も、ちょうど同じだけくるっていました。調べてみると、一階はなんともない。二階の……つまり、私の近くに、周囲にあった時計だけが遅れている。どこかに境界線があって、そこから上だけ、何時間か消えたんだ……立っていた階段がぐらっと揺らぎ、へたへたと座り込みました。

 あの力を、パワーを、エネルギーを、もしかすると、もっと他のことに使うことだってできたのかもしれない。曲がり角を間違えなければ、あるいは、私だって、倫子のように、あるいはもうひとつの大傑作『蒼の封印』の蒼子のように、美しく恐ろしい別の生き物になることができたはずだった、のかもしれないと思います。でも、気がついたら恋をして男のひとと一緒に暮すようになり、おまけに小説書きにまでなっちまってました。恋愛とクリエーションに注ぎ込めばエネルギーは無限に必要です。余りっこない。すると、さまざまな「変なこと」はサッパリ起こらなくなってしまったのでした。

 良かった、とホッとすればいいのでしょうか。犠牲の割に、たいしたことができてないと悔しく思ったほうがいいでしょうか。

 いまの私にもう一度チャンスかおるとしたならば。

 母だ。母になることですよね。倫子先輩の例を見ると、母親というのはいっそうレベルアップした魔女になりうるものなのだということがわかる。時を越え、死の淵からも蘇り、愛するものたちのために最後の戦いに挑み、そして勝つことができるのだから。

 新しい小説を書き出す時、よく『闇のパープル・アイ』を読みかえします。そのパワーを、才能を、なによりほんとうに描かれるべき作品だけの持つ生命を、素晴らしいエロティシズムを、どうかこの私めにもチョビッと分けてくださいと、せいいっぱいに祈りつつ。私の声はもはや異界には届かないかもしれないけれども。

 そんな風に御作品を崇め奉っている人間がいることを、先生さま、どうか、おこころの片隅に置いておいてください。そうしてまた素敵で恐ろしい魔女たちのものがたりを私たちに与えてください。

 素晴らしいお仕事を、ありがとうございました。

 どうそいつまでもお元気で。

・・・

 うーん。

 あなたも頬をひっぱたかれたようなショックを受けてみたいと思いませんか。しばし呆然と、恍惚と、ただただ見蕩れて見たいと思いませんか。妖しく恐ろしく異形の、魔性の女の美しさに陶酔できるかもしれませんよ。

 あなたも読んでみたいと思いませんか?

 篠原千絵作「闇のパープル・アイ」は東京漫画探偵団(まんたん)に置いてあります。 

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2007年4月26日 (木)

「闇のパープル・アイ」は自分でも手に負えないような闇の姿をさえ認め受け入れてくれる愛を描いている

 だれでも長所短所を持っています。そんな良いところ、悪いところをすべてそのまま認め、受け入れてもらえたらこんなうれしいことはありません。逆に、自分が誰かのすべてをそのまま認め、受け入れ、愛することができたら、それはもっとすばらしいことではないでしょうか。そんな気持ちで楽しめるマンガがあります。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

  「闇のパープル・アイ」は自分でも手に負えないような闇の姿をさえ認め受け入れてくれる愛を描いている

  と題して進めます。

 佐藤先生は著書の「名作コミックを読む」の中で、篠原千絵作「闇のパープル・アイ」について次のように書いています。 

・・・

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  ダイエット願望を持たない女性は圧倒的少数派だという。とは言っても大半は、数日あるいは数カ月間の熾烈な闘争の末、「まっ、いいか」と失敗をくりかえすのが平均的パターンなのだが、ときどき、意志堅固で当初の目標を断固やり抜いてしまう女性もでてくる。こうなれば、女性たちの夢が実現されて理想かといえば、問題はそんなに単純ではない。すべてのユートピアがそうであるように、一つの目標だけを貫いて実現した姿はバランスを欠く。わかりやすく言えば、過食症や拒食症の地獄におちこむ危険がしばしば待ちかまえることになる。

 そんな苦しみの中にいる一人の女性から、ダイエットの苦しみを聞いたことがある。ダイエット中はともかく頭の中が食べることばかりで一杯になってしまうそうだが、あまりのひもじさに夜の夜中、みんなが寝静まった頃、そっと台所に忍び寄って冷蔵庫の扉を開けてしまうのだという。この冷蔵庫の扉を開く瞬間は誰にも見られたくない瞬間なので、もしや万一その時に、誰か家族の一人が近づいてくる気配などを感じたら、全身が凍ってしまうような緊張にとらわれて、さっと扉を閉めてその場を離れるのだそうだ。

 考えてみれば、奇妙な話だ。当人だけが勝手にダイエットしようと決意したものなのだから、誰に見られようとそんなことはどうでもよいように見えるが、問題はそんなに簡単ではない。そこには変身への強い願望が秘められているからだ。

 篠原千絵の『闇のパープル・アイ』にはまさしくそんな場面がでてくる。ヒョウに変身してしまう自分の中に、夜中になると血のしたたる生肉を求める欲望が存在しているのを見て、自己嫌悪に陥る場面があるのだ。この作品を読み始めるやいなや、私はダイエットに走る若い女性たちの姿を重ね合わせてみていたので、「あっ、来た来た!」と心のなかで叫んでしまった。

 女性たちをとりまく文化的コントロールは、まだまだ圧倒的に強い。自己主張の強い女、攻撃的な女は嫌われるという思いは、多くの女性に激しい自己抑制を迫る。だから、昼の明るい間は静かでおとなしくてカワイイ女として生きているが、夜の闇の中では昼の自分には想像もできないほど激しく攻撃的な自分の変身した姿が登場する。それは昼間の自己抑制が強ければ強いほど、逆にそれだけどうしようもないほど奔放なものなのだ。ダイエットの例でいえば、拒食と過食の際限のないくりかえしがそれだ。拒食でガリガリに痩せている若い女性も、じつは他人の見ていないところで、気のくるったように食べまくる場合が少なくない。アンパン15個に、おむすび8個、アイスクリーム6個、ポテトチップスが10袋、チョコレート13枚、さらにハンバーグ7個といったように一気に食べまくる。経験者によると、食べまくるというよりは喉に詰め込みまくるのだという。いくら食べても満腹感はないのだが、今度はこれを全部喉に指を突っ込んで吐きまくる瞬間が耐えられないのだという。この時に、自分の生きている実在感が得られるのだそうだ。

 こんなわけで時には吐いたものでトイレの排水管が詰まってしまい、そうしてはじめて拒食症状が家族に分かるといったこともあるようだ。この獣のように(現実の動物はこんな食べ方はしない)食べまくる姿は、自分の中で決して認めたくないものなのだが、こうした自分が認めたくもないもう一人の自分との際限もない葛藤こそが、この作品の中心テーマだろう。

 さて、この作品が若い女性たちに強く支持されたもう一つの理由は、やはり男性との関係だろう。尾崎倫子にとっては水島慎也が、水島麻衣にとっては高階暁生がそうであるように、自分でも手に負えないような闇の姿をも認め受け入れてくれるような愛の対象の存在は、このストーリーの絶対に必要な部分だ。

 「私は愛している。なぜなら、私はきみが生きて存在してくれることを願っているからだ」(アウグスティヌス)という絶対的受容こそが今の若い世代が痛切に求めるものだ。単に「愛している」という言葉が重要なのではない。自分の野獣としての存在を認め、時には、自分さえも予想しなかったような妊娠や、愛しているわけもないような人とのキス、といった自己嫌悪してしまうような経験さえも受け入れてくれ、自分の味方になってくれる男性の存在こそが、このストーリー全体の要をなしている。自分をたえず脅かして襲おうとし、自分を別の世界の奴隷にしてしまおうとする外界の圧力(これは企業戦士や受験戦争を強いる現代の社会そのものだ)のなかで、必要なのは自分と同じ立場になってそれに対抗してくれる仲間であり、そこでの愛なのだ。

 拒食に苦しむ女性の相談を受けたとき、同じ苦しみを克服したという別の女性に尋ねてみた。すると彼女の答えは明快で単純なものであった。「一番いい方法は、佐藤さんがその人を愛してあげることよ」。これには心底マイッタ。そんなこと考えもしていなかったからだ。まあ、そんなにつぎつぎと女性を代えて愛することもできないが、アウグスティヌスのいう意味で相手の思いを絶対的に受け入れてみようという気持ちだけはそれから持つようにし始めた。

 それにしてもこの作品が少女まんがとして圧倒的な人気を博した理由はよく分かる。苦しみや葛藤が何よりも身体の問題として受けとめられ、しかも対人関係がじつに触覚的に描かれているのだ。「ピチャピチャ」「ポタポタ」「ドクン」「ドキンドキン」「ゾクリ」「ズキン」などという言葉があちこちに氾濫しており、それが自ずと皮膚感覚的な反応を読者に引き起こしている。しかも、その圧倒的多数は、誰かに攻撃されたり、傷つけられたりしたときにイメージされるような擬音語や感覚の表現だ。

 女性たちがこういう感性を生まれつき男性より鋭く備えているからこうした表現が好まれるのだろうか。それとも少女まんがの世界そのものがこうした感性を女性たちに醸成するために文化的機能をはたしているのだろうか。少なくとも、現状の中で女性が何を考え何を期待しているのかは、少女まんがの世界がかなり明確に示してくれる。男は少女まんがを読むべし。

・・・

 うーん。

 世の男性諸氏、このブログを見てくださった男性の皆さん、どうでしょう。この漫画、そして少女漫画を読んでみてはいかがでしょうか。

 あなたはどのように思いますか?

 読んでみたいと思いませんか?

 篠原千絵作「闇のパープル・アイ」は東京漫画探偵団(まんたん)に置いてあります。 

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2007年4月19日 (木)

「三丁目の夕日 夕焼けの詩」の原点はSF的思考である

 西岸良平作「三丁目の夕日 夕焼けの詩」については「夕焼けの詩 三丁目の夕日」を読むと善人でありたいと切実に思うと題して一度取り上げたことがあります(http://man-tan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_6bd5.html)。

 このマンガに一貫しているのがSFでいう「時間テーマ」であるという視点の興味ある文を新聞の文化欄で見つけました。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

  「三丁目の夕日 夕焼けの詩」の原点はSF的思考である

  と題して進めます。

 評論家の切通理作先生は4月15日付け産経新聞文化欄で、西岸良平作「三丁目の夕日 夕焼けの詩」について次のように書いています。

・・・

0419_00 サブカルさーふぃん---マンガ

三丁目の夕日 夕焼けの詩 原点はSF的思考

 長寿の人気作を持っているベテラン漫画家は、人生の多くをその一作に費やさなければならない使命を負う代わり、その枠の中でバラエティー豊かな要素を盛り込める特権を持つ。子どものころから描いていたSF冒険活劇を映画原作の「大長編ドラえもん」シリーズに活かしていた藤子・F・不二雄もそうだが、『三丁目の夕日 夕焼けの詩』(小学館ビッグコミックス)の作者・西岸良平もそんな一人だろう。夕日町の庶民たちのドラマに交じって、時に化け狸一家の視点で語られたり、UFOや宇宙人の到来、そして私立探偵による推理モノ仕立てになったりもする。

 映画も大ヒットして「昭和30年代ブーム」の象徴とみなされる作品だが、単行本50巻を超える連載を通読すると、作者に一貫しているのはSFでいう<時間テーマ>であることがわかる。人間は意識の世界に入り込むことによって過去にタイムトリップできるが、それは幻影なのか現実なのかが繰り返し問われる。

 単行本第2巻に取録された「狂った映像」(1972年)は、宇宙飛行士の火星着陸が「ヤラセ」だったという、後にSF映画「カプリコン・1」(77年)で使われた陰謀説を早くも盛り込んでいる。秘密保持のため宇宙飛行士の命が狙われる展開も同じだが、結局「正義が勝つ」というラストがやや食い足りない映画と違い、西岸版は宇宙飛行士が死んだという事実そのものも、またあらかじめ作られた映像だという二重三重の仕掛けを用意している。仮想現実というテーマを35年前から描けていたのだ。西岸の世界が回顧ブームに乗った一過性のものではない所以である。

                             (評論家・切通理作)

・・・

 うーん。

 長寿を誇る人気マンガにはやはり長寿であるべき理由があるのですね。

 あなたはどのように思いますか?

 読んでみたいと思いませんか?

 西岸良平作「三丁目の夕日 夕焼けの詩」は東京漫画探偵団(まんたん)に置いてあります。

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2007年4月 5日 (木)

「風の谷のナウシカ」は状況の傍観者ではなく、状況に巻き込まれながら考えていくたたかう哲学者である

 わたしたちは核戦争や環境破壊の危機に直面しています。しかしながら、余りにも事が大きすぎますし、現実感に乏しいため、ひとごとと思ったり、諦めたり、無関心を装ったり、とかく直面することを避けようとしがちではないでしょうか。私たちの大好きなマンガの中に、このことを改めて考えさせ、勇気を与えてくれるものがあります。そんなマンガを私は誇りに思います。

 今日は

  まんが①死ぬほど面白いマンガを「まんたん」でみつけました

  というカテゴリーのなかで

  「風の谷のナウシカ」は状況の傍観者ではなく、状況に巻き込まれながら考えていくたたかう哲学者である

  と題して進めます。

0400_03  福島瑞穂先生は「マンガ名作講義」の中で、宮埼駿作「風の谷のナウシカ」について次のように書いています。 

・・・

   「風の谷のナウシカ」はまずアニメーションの映画を見て、その後、漫画を読んだ。映画の方が楽天的でわかりやすく、漫画の方は、ペシミステイックで筋は複雑だがずっと深い。しかし、どちらも強烈な印象だった。

 宮崎駿氏は、実家が飛行機を作っていたということもあってか「飛行シーン」が多い。バァーと大空と下界が広がっていく爽快なシーンは、足が地についていない解放感を与えてくれる。そして、ヒロイン像の変遷ということを挙げたいと思う。

       ◇   ◇   ◇

 彼の作品のなかでもヒロインは変わっていっている。「太陽の王子ホルスの大冒険」は、男の子のホルスが主人公。闘う勇敢な男の子だ。ルパン三世の「カリオストロの城」のクラリス嬢はお姫様。彼女自身が闘うのではなく、ルパン三世に助けられる。

 「未来少年コナン」では、超能力者のラナちやんは、コナンを助けたり、重要な役割を果たすけれど、やっぱり主人公はコナン。「風の谷のナウシカ」と同様、「核戦争後」を描いた名作だが、泳いだり、駆けたり活躍する主人公はやっぱりコナンだ。地球を救うのは男の子。「天空の城ラピュタ」では、女の子シータも頑張るが、最後は、男の子パズーに助けられる。男の子は元気とパワーで、女の子はお姫様でカギを解く秘宝を持っているという構造である。

0400_01_2  これらに対して、「風の谷のナウシカ」は、族長の娘(OOの娘、お姫様というのが気に入らないという人もいるが)で、彼女がまず主人公である。地球を救うという役割を女の子が果たす。トルメキアの第四皇女クシャナもナウシカとはタイプが違うが、めちゃくちゃ気が強くてしかも冷静、戦闘を指揮する新しいタイプのヒロインである。

 だれも助けてはくれないし、一人で旅立たなくてはいけない。しかも地球上が汚染され、戦争がやまず、子どもたちは生きにくく、人々は腐海のはとりで恐怖にふるえながら生きている。

 映画では、巨大な虫である王蟲(オーム)と腐海が実は地球を浄化するシステムであることが明かされる。しかし、漫画はそこで終わらず、核戦争の際にビルトインされたこのシステムのもとでは浄化された後の地球上では現状の人類を含めた生命は生存を許されず、「種」の交代が起きることが予定されていることをナウシカは明らかにしている。この漫画の最後でナウシカは、このビルトインされたシステムに屈服せず、このシステム自体を破壊して、汚染された地球とともに人類自らの力で生きのびる道を選択する。

 ナウシカは言う。「私たちの身体が人工で作り変えられていても私たちの生命は私たちのものだ。生命は生命の力で生きている」

 「生きるとは変わることだ。王蟲も粘菌も変わっていくだろう。腐海も共に生きるだろう」「苦しみや悲制やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから……。だからこそ苦界にあっても喜びや輝きもまたあるのに」

 ナウシカは状況の傍観者ではなく、状況に巻き込まれながら考えていくたたかう哲学者である。

       ◇   ◇   ◇

 「風の谷のナウシカ」は核戦争や環境危機のなかで人類が生きていく上での哲学を語った作品である。ナウシカは火を使って焼き払ったり、憎悪にかられて殺し合ったりという手段を使わず、どうやって人間は生き延びられるかということを模索している。風の流れをよみ、空を一人で飛ぶ。感受性が鋭く豊かで、排他的でなく、いろんな生命や人と交信できる。

 宮埼駿氏は、ギリシャ神話のオデュッセウスのなかに少し出てくるナウシカという女性をヒントにこのヒロイン像を作り上げた。その想像力と創造力に敬意を表したい。

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 うーん。

 核戦争や環境破壊の危機を認識すること、逃げないことが大切なんですね。状況を傍観するのではなく、その状況に巻き込まれながらも、困難と闘い、考え、生き延びる道を探し、選らんで行くことが大切なんですね。私たちの大好きなマンガはこのことを改めて考えさせ、勇気を与えてくれます。そんなマンガを私は誇りに思います。

 あなたはどのように思いますか?

 読んでみたいと思いませんか?

 宮埼駿作「風の谷のナウシカ」は東京漫画探偵団(まんたん)に置いてあります。 

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